§被覆硝酸石灰利用によるトマト「尻腐れ果」対策
岐阜県農業総合研究センター
土壌環境科長 北嶋 敏和
技師 小川 靖史
§肥料の来た道,帰る道
産業革命と肥料革命
京都大学
名誉教授 高橋 英一
§茶樹の栄養生理・栽培特性と施肥(Ⅰ)
鹿児島県経済連 茶事業部
技術主管 藤嶋 哲男
岐阜県農業総合研究センター
土壌環境科長 北嶋 敏和
技師 小川 靖史
本県中山間地帯では,雨よけ施設を利用した夏秋トマト栽培が盛んであるが,連作に伴う土壌塩類集積,塩基組成アンバランス及び極端な水分管理等土壌環境条件によると思われる各種生育障害が発生している。
また,近年は消費者ニーズへの対応,産地ブランド化の中で高品質トマト生産への意識が高まる中,これまで以上に徹底した節水管理が行なわれる様になり,石灰欠乏症である「尻腐れ果」の発生が増加傾向にある。
特に,夏期高温期の土壌乾燥条件は石灰の吸収を著しく抑制すると共に,一部吸収されても体内での移行は極めて小さい為,果実肥大期において生長が最も旺盛な果頂部に症状が発生することとなる。
本稿では,最近開発された被覆硝酸石灰肥料を利用し,土壌水分条件との組合せでトマト栽培試験を行ったところ,「尻腐れ果」発生軽減効果が認められたので,その概要について紹介する。
岐阜農総研温室,15㎡/区
細粒褐色低地土
桃太郎(台木,カップル0)
播種平成3年2月5日,定植4月11日,栽培終了8月末日,長期多段仕立て
栽植密度2,220株/10a

土壌水分は,標準かん水,節水とも定植後5月下旬までは徐々に低下したが,入梅と共に上昇に転じ,梅雨明け後は再び低下した。全期間を通じて節水は標準かん水より低水分で推移し,期間中の平均pF値は2.8以上(直管式テンシオメータで測定不可)と推定された。(図1)

圃場埋設法による作付期間中(4上旬~8下旬)のロング及び被覆硝酸石灰肥料の窒素溶出率は65~70%であったが,両者の溶出パターンに相違がみられ,ロング肥料がほぼ直線的に溶出したのに対し,被覆硝酸石灰肥料は前半の溶出がかなり抑制されたのが特徴的であった。
また,栽培土壌の土壌中無機態窒素濃度の推移は,両かん水区とも前半はロング肥料が被覆硝酸石灰より高濃度で推移し,後半は逆転する傾向がみられ概ね両肥料の溶出パターンを反映していた。なお,無機態窒素は主に硝酸態である。(図2,3)


栽培期間中の土壌中水溶性石灰濃度は,6月中旬の収穫始期頃までは肥料の種類,かん水量による差は認められなかったが,以降は被覆硝酸石灰が土壌水分条件に関係なく明らかに高濃度で推移し,同肥料の石灰供給効果が認められた。(図4)

葉中石灰濃度は6~8月いずれの時期も,被覆硝酸石灰が高濃度であり,特に節水での肥料間の差が顕著にみられ,8中旬では③区4.38%に対し④区は5.59%であり,土壌中水溶性石灰濃度との関連が明らかであった。なお,葉中加里濃度は石灰濃度と相反する傾向がみられた。
また,吸収量は前半被覆硝酸石灰の窒素溶出が抑制され,生育量が若干劣ったため収穫始期では各区とも殆ど差はみられなかったが,収穫中期以降,被覆硝酸石灰施用区が多くなり,終期では節水区での差が顕著であった。(図5,6)


発生は7中旬(第6果房収穫始)以降に集中しており,肥料,土壌水分の違いによる差が明らかで,特に,節水のロング肥料区が総収穫果数の23%と多発したのに対し,被覆硝酸石灰では節水であっても発生は僅少で,標準かん水のロング肥料区をも下回った。
また,発生時期の7中旬は両肥料間の土壌中水溶性石灰濃度の格差が増大した時期と一致しており,尻腐れ果発生軽減は,被覆硝酸石灰肥料の石灰供給効果によるものと考えられた。
従って,可販収量は尻腐れ果発生率が最も高い節水のロング肥料区が10a当り4.6tと低収であったのに対し,他区は7~8t(総収量8~9t)が得られた。(図7)

果実中の石灰濃度は,高段位程低下する傾向にあり,かん水条件の影響は通常のロング肥料では節水管理で濃度低下が認められたが,被覆硝酸石灰では土壌乾湿に影響を受けず,安定した濃度が維持された。
また,尻腐れ果発生程度と果実中石灰濃度との間には有意な負の相関関係が認められた。(図8,9)


以上の様に石灰の吸収は土壌乾燥条件により大きく抑制され,高温乾燥期に果実肥大期を迎える中段果房で尻腐れ果の発生が助長されることとなるが,被覆硝酸石灰の利用により,この時期の土壌中水溶性石灰濃度がこれまでのロング肥料に比べ明らかに高濃度に維持されるため,石灰の吸収が促進され,果実,葉等作物体中の石灰濃度が高まる結果,尻腐れ果の発生が軽減されるものと考えられる。
しかしながら,今回使用した被覆硝酸石灰肥料の肥効パターンは,かなり前半の溶出が抑制されるため,定植後の無機態窒素はロング肥料よりやや低く,水溶性石灰濃度も同程度であった。
従って,この時期に高温,乾燥期を迎える等石灰欠乏が出やすい作物,作型では十分な効果が得られない場合も考えられるので,使用に際
しては,必要とする石灰の供給時期及び前半の窒素肥効を考慮した対応が必要と考えられる。
作物の石灰吸水抑制は,以上の様な土壌乾燥条件の他に,塩類集積による土壌溶液濃度の上昇,塩基組成アンバランスによる拮抗作用,さらに,アンモニア態窒素の集積等によってもおこる。これらの条件は現在の野菜畑,特に施設栽培では極く一般的な現象であり,石灰含量が土壌診断基準値を満たしていても欠乏症が発生している。
基本的にはこれらの土壌環境条件を改善することが最も重要ではあるが,被覆硝酸石灰の利用は作物に吸収されやすい形態の石灰を持続的に供給する事が可能であり,簡易で確実な石灰欠乏対策となり得ると考えられる。しかも副成分が含まれないため,いたずらに土壌溶液濃度を高める心配もなく,現場での利用場面は広いものと思われる。
京都大学
名誉教授 高橋 英一
周知のように18世紀の後半イギリスで産業革命がおこった。これにはいろいろな原因があげられようが,その一つに深刻な土地不足があったことはみのがせない。工業化社会到来以前のイギリスでは,食糧はもとより生活に必要な原料のほとんどは土地から生み出されていた。
たとえば主要な衣料原料は国内の牧場で飼育された羊の毛であったし,家庭やいろいろな製造業用の燃料のほとんどは薪炭であり,家屋,船舶,農機具等にも多くの木材が使われた。また当時ガラスや石けんの製造にカリ塩が使用されたが,これは植物の灰から抽出した(カリのことをpotash=ポットの灰という所以である)。
さらにいろいろな作業や輸送に多数の馬が用いられていたが,それを養うためにも広大な土地が必要であり,照明用の獣脂もまた最終的には土地に依存するものであった。
産業革命は土地不足による制約からの解放を求めておこった。そのためにいろいろな代替資源が登場したが,その中で特筆すべきは石炭が木材のかわりに用いられるようになったことである。
イギリスはfire stone(もえる石)即ち石炭の豊富な国であった。しかし石炭は燃やすと悪臭を発することもあってあまり利用されていなかった。鉄鉱石から鉄を製するのに大量の燃料が必要であるが,これには森林から切り出した薪から製した木炭が用いられ,それはカリの製造とともに森林を枯渇させつつあった。
17世紀には木炭のかわりに石炭を使って鉄鉱石を熔解する試みが多くなされたが,いずれも成功しなかった。それは石炭に含まれている不純物とくにイオウ分が鉄と反応するためであった。
しかし1709年イギリスのCoalbrookdaleのDarby 1世は,石炭を燻して(cokeして)これらの不純物を除いたコークスを用いる熔鉱炉で,はじめて良質の鉄を得ることに成功した。このコークス製銑法の発明によって製鉄業は木炭依存から解放されることができた(山本通 18世紀はじめのイングランドの製鉄業,産業革命のアルケオロジーによる)。
しかし一方それは石炭に対する需要を大幅に高めることになった。石炭ははじめは露天掘りされていたが,次第に地下の深い炭層より採炭せねばならなくなった。この場合大量に吹き出てくる地下水を汲み出す必要があり,そのため石炭を使った蒸気ポンプが発明された。
この蒸気ポンプはやがて蒸気機関車を生むことになった。1800年ごろイギリスには135万頭の馬がおり,その中の100万頭以上が旅客や貨物の輸送に用いられていたといわれるが,これが地中から掘り出された石炭で動く蒸気機関車によって代行されれば,土地不足の悩みの解消に非常に役立つことになる。
何故なら一頭の馬を養うのに4エーカーの土地が要る(人間なら8人を養える)から,100万頭では400万エーカーになり,これを穀物生産にまわせば800万の人間を養うことができ,馬も農業用に戻すことが可能だからである。
イギリスの産業革命のいま一つの顔であるランカシャーの綿織物工業の発展は,原料代替の特殊な例である。かつて耕地の牧場への転換は「羊が農民を食いつくした」としてトマス・モアによって非難されたが,綿もまた羊毛と同じく土地を介して生産されるものである。
しかしこの綿はイギリスの土地でなく,インドやアメリカの土地を利用するものであった(気温の関係でイギリスでは綿は育たない)。そのため食糧生産をおびやかすことなしに,新しい衣料の生産拡大が可能であった。もっとも植民地支配や奴隷問題をひきおこすことになったが。
土地不足を補ういま一つの手段は,土地の生産性を一だんと引き上げることである。そのためにはより多くの肥料の投入が必要であるが,それまでの厩肥を主体とする有機質肥料には限界があった。何故ならそれらも土地で生産されたものであったからである。しかしここに従来にはない新しいタイプの肥料が登場した。そしてそれらは産業革命がもたらしたものであった。
イギリス中部にシェフィールドという町がある。ここは古くから刃物製造で有名であったが,18世紀にはイギリスの刃物生産の大部分を占めるまでに発展した。刃物には柄が必要であるが,これに家畜の骨や角が大量に使われた(日本ならさしづめ木や竹を使うじぶん だがそこは牧畜国と非牧畜国のちがいである)。
その結果骨の削りくずが工場のまわりにうず高く積まれることになった。注意深い観察者の一人が,骨くずの山のまわりではほかにくらべて雑草がよく繁っていることに気づいた。試みに骨くずをもって帰って自分の畑にまいたところ作物がよくできた。このニュースはすぐ近隣につたわり,シェフィールド周辺のやせた(おそらくリン酸分に乏しい)土地を耕やしていた農民達は,争ってこの骨くずをもってゆくようになった。
刃物工場主は,はじめのうちは骨くずの山が片づくのを喜んでいたが,やがてこれが貴重な肥料であることを悟ると,骨くず一荷ごとに代金をとるようになった。骨くずの需要が高まるにつれて,農民たちは骨の供給をほかから仰がねばならなくなり,屠殺場から出る骨がひっぱりだこになったといわれる(市場泰男訳 サトクリフ エピソード科学史Ⅲによる)。
ヨークシャ一地方では骨を砕く機械を発明して骨粉を大々的に施用し,収益をあげた地主の話はいくつもあり,骨粉肥料の普及のさまを物語っている。この骨粉肥料は19世紀になって過リン酸石灰即ち最初の人造肥料に進化するのであるが,その生みの親は刃物工場から出る廃物であった。
産業革命のもたらしたいま一つの肥料は硫安である。硫安といってももちろん合成硫安ではなく,コークス製造の副産物であった。石炭を乾溜するとコークスのほかに,ガス,タール,ガス液が生じるが,これらの副産物の用途が開発された。
石炭ガスについてはこれを照明や燃料に利用する試みが18世紀末からはじまったが,1792年イギリス人のW. Murdochが自宅の照明に用いてから,石炭ガスの製造事業がおこった。ガス燈は工場の夜間労働のために使用され,ついでロンドンなどの大都市の街燈としてひろがっていった。
一方照明以外に,石炭ガスは都市ガスという新しい燃料を供給するようになった。石炭タールは複雑な高分子の有機化合物の混合物であるが,これを原料とする有機化学薬品工業が発展した。残るガス液は石炭ガスを冷却したときに凝縮する水溶液で,1.5~3%のアンモニアを含んでいる(これは石炭のもとである植物体中の窒素に由来している)。
この利用方法として,ガス液中のアンモニアを硫酸によって硫安として捕集し,肥料にすることが考案された。今日副生硫安と呼ばれているものであるが,これはイギリスやドイツではいち早く利用された。あとで述べる1843年にはじまるRothamstedの長期圃場試験にも,この硫安は使われている。
ここにあげた骨粉と副生硫安の2つは,工業化社会へ移行する過程で生れた肥料で,いままでのような農業の内部で生じた廃物の利用とは異質のものである。そしてこれを契機として,工業は農業への肥料の供給に積極的な役割を演ずるようになるのである。
そもそもの動機はイギリスの製鉄工業が銑鉄のコストを引下げるために,コークス炉に発生するアンモニアを硫安の形で回収したのにはじまる。
日本ではかなりおくれて1907年(明治40年)に八幡製鉄所が副生硫安の製造を開始した。都市ガス工業での副生硫安の製造は,東京ガスが1901年(明治34年),大阪ガスが1905年(明治38年)にはじめている。(日本硫安工業史による)
鹿児島県経済連 茶事業部
技術主管 藤嶋 哲男
茶樹*は茎葉という栄養器官を収穫対象とするため,茶樹に栄養生長のみを続けさせて生殖生長を切り捨てるといった施肥を行っている。このことは水稲や果樹のように子実(果実)を収穫するものに比べて単純であるともいえる。しかし茶*は嗜好飲料であるため,より高品質を求める傾向が強く,また,施肥の影響が直接的に収穫部位に関与するため,施肥技術にはかなり難しい面をもっている。
収穫部位からみると茶樹は葉菜類に似ているが,永年生の木本作物であるため,樹体内での養分の蓄積や転流などの影響も大きく,肥効の発現は緩慢である。さらに収穫の時期や方法などによって収量・品質は大きく改変されることもあり,施肥と茶樹の生育や収量・品質との関係は今一つ判然としない面がある。
一方茶葉は,摘採後すみやかに加工して荒茶にすることが必須条件であり,品質はこの加工工程によっても変えられるという特徴をもっている。
茶葉中には3~6%の窒素を含んでおり,りん酸・カリなどに比べるとかなり多い。
茶樹に対し三要素の欠除試験を3か年続けるとりん酸・カリ欠除では1~2割の減収となるのに対し,窒素欠除では生育は急激に低下し,収量は5割程度に減少する。
また,施用窒素をNH4-NとNO3-Nを用いて水耕栽培を行うと,NH4-Nのときの生育が明らかにすぐれることより,茶樹は好アンモニア作物とされている。
さらにNH4-Nの濃度を変えて水耕栽培を行うと,図1のとおり乾物重は50ppmでピークになるのに対し,アミノ酸含量はNH4-N濃度が高いほど高まっており,アミノ酸の集積**にはNH4-N濃度は高いほうが望ましいことを示している。

茶には多くの呈味成分が含まれているが,日本茶の主体をなす煎茶についての主要呈味成分含量を上級***~下級茶に分けて示せば表1のとおりである。

タンニンは茶の苦味・渋味の主成分であり,上級~下級茶間で含量に大差はない。エピガロカテキンがその主体をなしている。
アミノ酸は茶の甘味・旨味などの主成分であり,上級茶ほど含量が高い。テアニンがその主体をなしている。
カフェインは苦味を示し,神経を刺激して興奮させる作用があり,上級茶ほど含量が高い。
茶の味はこのほか多くの成分の影響を受けるが,おおよその目安として上記3成分の合量で品質を判定することが多い。ここでアミノ酸の代りに全窒素またはテアニンの含量で推定することもある。(茶の品質は味のほかにさらに形状,色沢,香気などとの総合したもので決められるが,ここではもっとも重視される呈味成分について述べる)
茶樹におけるテアニンの代謝系は図2のように考えられている。

葉でできたグルタミン酸は根に移行し,エチルアミンと結合してテアニンとなり貯蔵される。このテアニンが新芽の生長とともに葉に移行して蓄積されるが,ここで光が当ると光量に比例してポリフエノール(タンニン)に変化する。またこのテアニンの代謝は気温が高いほど促進される。
そこで一番茶の場合,光線量が少なく,気温も低いので,一般的にテアニン含量が高く,二・三番茶では光線量が多く,気温も高くなるので,ポリフエノールへの変化量も多くなり,その結果,苦味・渋味の強い茶ができると考えられる。
いま,春茶(一番茶)と夏茶(三番茶)について,摘採日を5~3日ごとに行ったときの呈味成分含量の推移を示せば図3のとおりである。

各成分とも一・三番茶を通じ,摘採日がおくれるにつれて含量は低下するが,全窒素,アミノ酸含量では一番茶で高い値を示すことが多く,タンニン,カフェイン含量では三番茶で高い値を示すことが多い。
このことは摘採がおくれるほど茶の品質は低下することを示しており,また,一番茶ではアミノ酸が多いため甘味・旨味がすぐれ,三番茶ではタンニン,カフェインが多いため苦味・渋味を増すことをうら付けている。
茶芽を芯から1~4葉に分けて各葉の呈味成分含量をみると図4のとおりである。

各成分とも下位の葉になるほど含量は低下している。このことは摘採の部位を上位にするほど各成分とも高い含量の茶(高品質の茶)を得ることができることを示している。
被覆と露天条件下において,5日ごとに摘採を行ったものについて呈味成分含量の比較をすると図5のとおりである。

露天・被覆にかかわらず,摘採がおくれるにつれて各成分とも含量は低下しているが,タンニンを除き,被覆をすることによりその低下の程度がゆるやかであり,つまり品質の低下が少ないことを示している。このことは農作業上摘採がおくれたとき,被覆をすることによって品質低下を軽減することができることを示している。
なお,タンニン含量は各摘採日とも被覆の場合が低い値を示している。これは光線をさえぎることによりタンニンの生成が抑制されたためと考えられ,とくに光線の強くなる二・三番茶期において被覆をすることは,苦味・渋味をやわらげる技術として有効であると思われる。
茶は茎葉という栄養器官を収穫部位としている。また,嗜好飲料であるためその品質はきわめて重視される。高品質の茶はアミノ酸,カフェインなどの窒素を含む化合物の含量が高く,これらの成分の茎葉中への蓄積を図るため,窒素を主体としたかなり多量の施肥がなされている。
一般に摘採時期が早いほど,茶芽では芯に近い葉位ほど呈味成分合量が高く,高品質の茶がえられる。しかし一方,収量は,摘採がおそいほど急激に増加し,摘採部位は下位葉まで摘むほど飛躍的に増大する。
したがって摘採時期や摘採部位は品質と収量を総合的に勘案して決められ,また,被覆や加工工程によっても品質は影響を受けるため,茶の品質と施肥との関係はかなり複雑なものとなっている。(つづく)
* 茶樹は茶の“樹”そのものを指し,茶は“加工された茶葉”を指す
** 次項(2)参照
*** ここで“上級”を“高品質”とみなした